折々のことば(鷲田 清一)

2024.2.29(木)

食べるということは生きるということであって、生きる為の行為ではない

 

 食べることは吟味するということでもあって、人間相互の信頼や人生への信念に深くかかわる営みだと、臨床心理家は言う。だから人としてある事態が受け容れられない時に、「いただけない」とか「のめない」、「後味が悪い」と言ったりする。そこには人としての自由が懸かっており、「食べることしか楽しみのない」のはむしろ最大の不幸なのだと。『人間の限界』から。

2024.2.29 朝日新聞


2024年 年頭ご挨拶

自分がされて嫌な事は他人にするな

20241.1(月)

shinnen..png

NTT労組退職者の会 高知県支部協議会
会長 弘田 和幸

hirota.png

 『何となく、今年は良い事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし。』 これは、露語通訳者で作家の米原真理の本から借用した啄木の短歌だ。本文執筆時は十二月上旬だが、この短歌のような日々が訪れるのを祈願するのは私一人ではあるまい。
 しかし現実は、プーチン、金正恩、習近平らに象徴される「そんなばかな」というフェイクが罷り通っている。温暖化・プラゴミ・宇宙ゴミ…人類の未来が複合危機に見舞われているときに「戦争」どころじゃあるまい。と、考えるのは至極真っ当な事ではないのか?。未来を生きる人々に「負の遺産」ばかりを残して少しの心痛も感じないのかと、怒りを通り越し情けない思いにかられる。退職者の会なので残りの人生はたかが知れている。大したことができるわけでもないだろう。だが、平和集会への参加とかSDGsの目標達成への小さな協力ぐらいは十分可能だ。心身にとっても良い影響を与え健康寿命が延びる可能性も大きいと請け合いたい。
 ところで様々な紛争の原因の最たるものは「富と権力の一極集中」であろう。つまり過大な「格差」であり、それに栄養を与えるものが「差別」だと言って差し支えないと思う。井上久の本から学んだことに「自分が他人からされて嫌なことは他人にするな」があるが、げに箴言だ。心の片隅に置いておいて悪いものではあるまいと、凡人で月並みな私などはそっと呟いているに過ぎない…が、皆さんにも無理にでもお裾分けしたい次第。
 結びになりましたが、皆様のご健勝と平安な日々を心からご祈念いたします。